アーツアライブのはじまり

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アーツアライブのはじまり





私が初めて高齢者対象のプログラムを実施したのは1999年の夏でした。
当時は、まだ介護保険法も施行されていなくて、
介護が必要になった高齢者が集団で暮らす老人ホームというものは
それほど多くはありませんでした。
私は当時、街中や企業のオフィスビル、駅や公園のような
皆さんが普段生活する場所に、アートの作品を制作するという仕事をしていました。
機会があって、その年の5月に、イギリス・マンチェスターで開催された
「World Symposium on Culture , Health and Arts 医療福祉とアートの国際会議」に
日本代表団の一人として出席しました。
その会議と現地視察で、諸外国が医療福祉の現場にアートを取り入れている事例を知り、衝撃を受けました。
精神疾患の人とアーティスト、一般の人が一緒に作品を制作し、
発表し、作品を販売までしている「リハビリを兼ねたアートセンター 」だったり、ロンドンの病院では
車椅子の障がい者の男性が小児病棟で子供相手にジャグリングをして子供を楽しませていたり
私にとって、医療や福祉の現場で、
アートというものがこんな風に生かされるものなのだ、ということを初めて知った瞬間であり、
医療福祉の現場でのアートの可能性に目覚めた瞬間でした。
日本でもこんな活動がしたい!と強く思いました。

“やりたい”と思うと即行動の私は、帰国後の夏、
美大の教え子を連れて富士市の特別養護老人ホーム「百恵の郷」へ出かけて行きました。
その施設は、オープンしたてでとてもきれいなのですが、
まるで時が止まったかのように感じる場所でした。
新しい施設の居室は真っ白の障子で仕切られていて、
ほとんどの入居者の方は、自分の部屋にそれぞれが閉じこもっていたからです。
真っ白なので、自分の部屋がどこかわからなくなってしまう人がいると聞きました。
そこで、学生たちと一緒に、お部屋にいるお年寄り一人一人に楽しい思い出を聞いて、
それを障子に貼り絵のかたちで表現しました。
ほぼ一日部屋で見ることになる絵だから、押し付けのアートでなく、
彼らが見て楽しいものをと思ったからです。
始めは見ているだけのお年寄りも、目の前で制作する学生たちに
コメントやダメだしを出すようになりました。子供の時のお祭りの事を話してくれて、
そこに車いすの自分を入れることを提案した女性がいました。
昔の自分を今の自分が見ている絵が出来上がりました。
全ての作品は、美大生と高齢者の対話からなり、
それぞれの入居者の大事な思い出を表現したものとなりました。
「故郷の景色は、もっとこうだったの」元お花の先生だった女性が「あやめの花はそうじゃない」というように。
居住者の高齢者は、孫のような世代の学生たちをかわいがり、作品を気に入り、
お別れのときには涙を流してくれました。
この夏の体験が、私がアーツアライブの活動を始めた原点となっています。

その後6年間、入居者のおじいさん、おばあさんと学生たちの作品制作は続きました。
80代、90代、そして100歳を超える方々にとって、
それは人生で最後に触れるアートになります。
実際、施設の方から、○○さんが亡くなったのだけど、家族も来ないし、
棺に何かをいれたくて、彼女が作家と一緒に制作した粘土細工の作品を棺に入れてしまった、
断りも無く、申し訳ないと言われたことがあります。彼女の身近なものを入れるにあたり、
彼女がいつも巾着にいれて持ち歩いていた作品を入れたというのです。
たった一時の体験だけれど、それは彼女の心に強く残り、
その忘れ形見をずっと大切にしてくださっていたのです。感動で胸が一杯になりました。
そうした施設の集団生活の中では、一般的に、個人としての存在が薄れがちです。
でも、そこにアートが入ると、個としての存在が際立ち、それぞれの個性を確認し、個性を表現し、個人として社会との接点を取り戻すことにもつながるのです。




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