作品名:

KATH

製作者:

小池愛理 土橋ひとみ

実施場所: 湖山病院

実施期間:

2007/08/19〜8/21

 

>>作品説明

 プロジェクトを始める前にウォーミングとしてプロジェクト参加者に簡単な自己紹介や好きなものを一言ずつお願いする。その後簡単なストレッチ(座ってもできるもので、身体と緊張をほぐす)をしてもらう。
 大きなシーツに日本地図を描き、その上に参加者の想い出の土地やそれに関連した想い出を絵に描いて貼って、大きな日本地図を作成する。


 

 

>>プロジェクト後の感想

 8月19〜21日の3日間、静岡県富士市にある湖山病院デイホスピタルにて、土橋ひとみ、小池愛理がアートプログラムをした。2人ともこのような経験はなく、プロジェクトへの参加も始めてであったため、前日まで企画段階から苦労し、試行錯誤であった。
 初日は日曜で、デイホスピタルが休みであったため、準備日とした。プログラムで使用する大きな日本地図を作成したり、クレヨンの紙をはがしたり折ってみたりして、自由に使えるようにした。また、一番時間をかけたのは、進行の流れを確認するミーティングだった。リーダーは土橋、サブは小池と決め、導入からどのようにしたら良いか、あらゆる場面を想定して、その対応やグループの雰囲気づくりのための工夫について論じた。また、リーダーはどのようにグループを進め、サブはメンバーの一員としていかに自然にグループの中に入りつつ補助に回ることができるか、実際に現場を想定してロールプレイでの練習を行い、わたしたち自身での立場、利用者の方の立場でのイメージをそれぞれ膨らませた。不快なことは避け、ある程度の枠組みを確保しつつ、自由な雰囲気で楽しくやりたいという結論に達した。全体を通して、誰にとっても居心地の良い場を提供することが一番であるという考えを確認し合った。
 二日目は午前はデイホスピタルでの迎え、交流をした後、リハビリのお手伝いをさせていただきながら、利用者の方とのコミュニケーションを図った。予定では、午前のうちにウォーミングアップと制作に入り始めるはずだった。しかし、午前はリハビリで慌しいことが多く、時間がない中、昼食までの残り30分だけ与えられた。その中で、ウォーミングアップをした。参加メンバーは10人前後であったと思う。
 まず円になり、リーダーから順番に、自己紹介と好きな季節とその理由を言ってもらう。はじめのうちは緊張が見られたが、リーダー土橋は一人ひとりの話に対して必ずコメントをして受容する態度でいた。サブである小池は出来るだけ、他の方にも共有していただけるような質問をしたり、話題を膨らませるよう努め、リーダーと個人だけの話になってしまわないよう気をつけた。順番が一周するころになると随分と和やかな雰囲気になり、最初に比べてにぎやかになった。今度は話をどこまでで切ってもらおうか悩むくらいだった。皆さんの話から、自分のイメージや他メンバーの話からの気持ちや思いを共有した。メンバー同士での新たな発見があり、「顔は知っていたが話したことがなかった」、「○○さんって、こうなのねぇ」「こんな話聴く機会がなかったわ」という声があった。限られた時間であったため、午前はウォーミングアップに時間をかけ、「その今のイメージを生かして、午後の制作で絵にして表現してみましょうか。」と伝える。すると、「絵は苦手だよ〜」「えぇ〜やだよー」という声が多く聞こえた。「絵でなくても、色を塗るだけの表現や言葉での表現でもいいですよ」と伝えるが、全体的に意欲的な反応はみられなかった。しかも、その日は甲子園に静岡代表が出るらしく、みなさん今日はそのことしか頭にないようであった。
 午後、始めの頃、声かけに応じて参加してくださったのは2,3人で、見かねて職員さんも参加してくれた。模造紙にあらかじめ描いてある大きな日本地図に、それぞれ思い出のものや出来事を描いた小さな紙を、それぞれ貼っていく。子どもの頃の思い出や、なじみのある地域や食べ物等、イメージできるものならなんでも!とした。はじめは、こちら側が表現してほしい一心で、なにか描くことを必要以上に勧めてしまった。しかし、ほとんどの利用者さんが、絵に対して苦手意識を持っていて、抵抗感があった。そこで、あまりにも、作品としての完成に私たちはこだわっていたのではないか、と考えた。まず、表現するまでの下準備を整えよう。作品の完成が全てでないと考えよう。何かを通して利用者の方と時間を共に過ごすという、私たちにとってもこの場を楽しむものにしよう。ということを2人(土橋、小池)で話し合い、いかに楽しめるか、を考えるようにした。
 結果、ほぼ何もせずに昔話を話し続ける方や、延々と自分のことを話す方もいた。それを言葉としての表現とみなし、代わりに私(小池)が紙にクレヨンで描いてみた。すると、意外なほどにご本人が興味を示し、とても喜んでいた。真っ白な紙とただ見つめているよりも、わたしたちが何かを描いてみると、それに付け加える形でスムーズに描き始められる方もいた。自分では全く描く気がないような方でも、私(小池)がその方の話や説明を聞き、代筆として表現することにした。「何もできない」と思い込んでいる状態から、代わりのものを使って「何かを生み出せる」ということ気付いた時(これは無意識のレベルだと思うが)、表情が柔らかくなり、より自然な会話が出来るようになった。また、人が描き始める様子をみて、自分で描き始める方もいた。私(小池)が一番良かったと思うのは、共同で描いていくというものだった。絵の苦手意識や、上手い下手を異常なほどに気にしてしまう方々に、形や大体のものを私が描き、一部を描いていただいたり、塗ってもらったりした。それさえも抵抗のある方には、お話をじっくり聞きながら私が絵を描き、これは何であるかの説明を入れる文字を書いてもらうこともあった。
 全員で20〜30人の利用者さんの中で、絵画に参加してくださったのは、5〜6人であった。短い時間ではあったが、初日にしては、溶け込めて会話が楽しめたと思う。職員の方も積極的に参加してくださり、それもまたよかったと思う。それが、いかにも「利用者のために提供しているプログラム」というよりも、「スタッフと利用者が一緒に作り上げたもの」として壁に貼られ、みんなに愛される作品となるはずである。そのことで、スタッフと利用者の方が、共通の話題や会話の機会が少しでも増えれば嬉しい。
 三日目、企画段階では色彩分割画を考えていたのだが、日本地図にまだ空きがあったのと参加者が少なかったため、続きをやることにした。欲張ってやるよりも、ひとつのことをしっかり完結させることに決めた。午前はリハビリで忙しい時間なのだが、待ち時間が長いので、リハビリ室で興味のありそうな方を中心にテーブルを囲んで絵を描いてもらったり、代わりに描きつつお話をした。その際、何度も感じたのは、利用者の方は何かを表現したい気持ちよりも、明らかに話を聞いてもらいたいのだとはっきり分かった。「話を聞いてもらう」という彼らのゴールと、「出来れば作品を完成させたい」という私たちのゴールには大きくずれがあり、半ば強引なところがあったと反省し、ゴールは何であったかともう一度考え直した。そのきっかけになったのが以下のケースである。
 ある方が、紙に縦に一本、青のクレヨンでうっすら線をよろよろと描いていた。それは小さな時遊んだ大きな川の絵らしいが、しかし話に夢中でそれからが進まない。私は、彼女の話にも受け答えしつつ、「それじゃ、その絵も描いてみましょうか」と話しに出てきたものを描くように私が提案すると「う〜ん」と言ったきり何もしない。その一本の線に彼女は昔遊んだ川を思い出し、昔を感じているのだと気付いた。知らないうちに美的センスを求めていた自分に気付いた。よれよれの一本線でも、それはたしかに彼女の表現であり、彼女の思いですべてを物語っていて、またそれが、さらに回想を促す効果があったと思う。
 アートによるコミュニケーションを目的に、利用者の方と関わる機会が与えられた。しかし、そのゴールをどこにするかによって、関わり方が左右されると感じた。アートを用いて誰かと繋がるということは、提供する側が自分のやりたいことだけをするものではない。やりたいだけであれば一人でアーティストとして制作していればいいのだ。そんな当たり前のことに気付くことが出来た。
 見栄えのいいものばかり追求しようとする自分がいて、そのような無意識の思いが、利用者の方を完全に自由な感覚にしきれなかったのかもしれない。出来上がったものよりも、そこに至るまでの話や関わり、ともに過ごした時間、共有した感情、それらが重要だと感じる。
 アートが専門でない私たち福祉の学生は、それ自体の完成度を求めることはそもそも出来なかったはずである。しかしアートを媒介にして会話が弾んだり、楽しい時間、和やかな雰囲気になるということが、身をもって学べた。たとえ、今回のように良い空間が作りださなかったとしても、アートをツールとすることで何もない中からは生まれない会話、話だけでは抵抗のある関わり方の難しい人に対しても、緊張を緩和し、人と人とを繋げる効果があるのではないかと感じた。(小池 愛理・土橋 ひとみ)