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>>作品説明
私は今度アーツアライヴを通じて社会と芸術の係わりについて今までには違う見方を持つ芸術を見ることが出来る機会になったと思う。
最初から老人らに芸術というのはあまりに親しみがないということ、そして熱海の老人ホームは特に今までのこのようなアートプロジェクト馴染みがないというわけで老人らに一番て抵抗がない近づく方法に関して工夫した。
そして抽象的なモノより分かりやすいもの、老人が自分の体を通じし易く係われアートの作業に直接参加することを目指し老人らの手を型を取る作業をすることにしました。 老人はめったにないアート作業に直接参加し作業自体の面白さを感じ、慣れていた自分の手を新しく見直す機会も持つようにする。
特に手というのはヒトがどのような人生を生きていたのかを素直に見せられるものであり、特に老人らにとって手は自分が今までて生きていた人生の思い出や証として意義があるではないと思い一人一人の手を取りそれを一緒に展示¥する行為を通し老人ホームという 共同体として 新しい家族になることを表すということをプロジェクトの目的とした。
具体的には石膏という素材を利用しプロジェクトの対象は20吊くらいを予想、その選抜の基準は先着順によって行うことにした。
>>プロジェクト後の感想
初日、熱海伊豆海の郷老人ホームに到着して老人ホーム側の協力を求めるため簡単な説明を始め、老人らの参加を求め食堂などの共同施設にポスタを張って説明する事はもちろん直接老人らの部屋を訪ねサンプルを持って説明を差し上げた。
翌日朝から2階の共同室で作業を始め、午後には4階の食堂で参加希望者を集まり、作業を続けた。
そのうちデイサービスからの参希望の申請が入ってデイサービス室でもプロジェクトを進むようになった。作業に関して老人らは体験したことがない作業や素材に興味を表せたり思い出になることに対して肯定的な反応を見せたりした。
作業自体が簡単で気やすく面白い経験が出来るというメリトが有る反面、実際の手と全く同じ作品に対して「怖い《などの悪い反応もあった。
でも初日の反応の恐れより作業を続けながら最初の抵抗はなくなり、参加者も増え老人らほかにもボランティアの学生や施設の方方もプロジェクト参加した。
特に記憶に残る作業は結婚62年になる山崎さんという老夫婦の手を繋がる形のモノで、二人にとして大事な記念の証になったという感謝の言葉で我も作業の甲斐を感じました。
手の型を取ることより夜にはそれを石膏にとって壇を付けて手入れすることまで、初めに思ったより代変な作業で作業は夜遅くまで続けた。
最後の日の朝、出来た作品の4階食堂の外にあるテラスに展示することで作業は終わった。でも展示する場所があんまり目に着けない場所で展示の効果は望まなかった。平面作品ではない、そして2階や4階の参加者のモノが混ぜているせいで、展示そのものが難しい状況で残念ながら作品は一人一人の元に手渡しすることでArts Aliveプロジェクトを済まさせて東京に帰えた。
熱海伊豆の老人ホームはアートやこのようなプロジェクトに馴染みがないというため、結果的に老人らの参加率が思ったより低かった。完成品は20個であり参加者は21吊だった。作業が続けるほど興味を見せる方が増えたが、プロジェクトの内容を老人ホームの全員には伝えなかったし、そして我らの予想より作業に手間が掛かり時間的にも足りなかったのも原因のため期待したよりは出来た数がすくなかったと思う。
でも私はこのプロジェクトを通しアートというのと社会の関係に関してもう一度考えるようになった。学部で彫刻作品を作る時も上特定多数の鑑賞者を対象にしたため芸術そのものを受け入れる側に関して配慮というか見る側を考えなくて作業をしました。しかし今度のように鑑賞者あるいは対象が決まっている時、芸術もそれに合わせて作品の主体や素材やいろいろ妥協しなきゃならないモノになる。芸術が社会の一部で有り、そのかかわりの上全く鑑賞者を無視することは危ないが受け側を考えすぎることも芸術の価値を落とす。その芸術と社会の微妙なバランスの難しさを実感する機会になったと思う。
そして今研究している文化政策や美術館のような公共文化施設で排除される恐れがある老人(特に施設の老人らを含め)のための文化的なサビスや配慮が必要ということに気付いた。子供と同じに老人らにも芸術を楽しむ権利があるが、それを自発的に探したりすることは体や金銭に係わる壁に障りやすい、そのため文化施設からの配慮が要ると思う。たとえば欧米の美術館では主に老人に対する美術館プログラムが備えている反面、我の現実は老人らに対する芸術的な配慮が足りない状況であるが、老人化し続ける現代の社会では改善方向を探さなきゃならないと思う。
でも韓国にはめったに無い美大と社会とのかかわりを感じる貴重な時間であり、ほかのヒトをため作品を造る甲斐も感じることが出来る経験だったと思う。
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